ぱたもんのブログ

妄想的歴史考察の備忘録(休止中)

■江戸時代考■2021/07/12

■江戸時代考■2021/07/12

【江戸時代で考えた外国人から見た不思議な日本】

 

前々回の記事、幕末日本図絵の動画元NKさんから
またまた面白い画像を紹介されていたので考察してみます。

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ピカールの絵

この絵は『全世界の人々の宗教儀式および慣習』(1729年刊)の中の1枚。

絵の作者は
Bernard Picart
ベルナール・ピカール
1673-1733。フランス人。製図技師、彫刻家、挿絵家。
欧州から離れたことはないがアムステルダムアントワープ在住経験あり。

 

描かれている人物などを観察してみると、
清朝役人が着用する帽子「凉帽」を着けた人が沢山居る。
・明朝役人が着用する帽子「烏紗帽」を着けた人が数人居る。
道教道士が着用する帽子「道帽(純陽巾)」を着けた人が1人居る。
・帽子を着けていない人は「辮髪(べんぱつ)」にしている。
・煙を立てて何かを燃やしている。
・日本の仏像にしては見かけない様式のものが多い。

 

以上の事から推理すると、
◇場所は、中国内のチベット仏教寺院。
◇時代は、満洲人が中国を制圧(1644年)した直後。
◇具体的な時期は、敵味方の区別をするため漢人にも「薙髪令」発令している最中。
清朝役人が多いのは、漢人を強制的に集めて抵抗する者を処罰するため。
◇燃やしているものは、剃り落とした髪の毛。

 

つまり絵のタイトルには「JAPON」と記載されているが実際は中国寺院の絵。
日本に行ったことのないピカールが、東アジアの貿易商に騙され「間違った日本資料」を購入させられ、そのまま挿絵として使ってしまったのではないだろうか。

 

時代背景として、
当時日本は江戸時代初期。鎖国中なので外国人は日本国内を自由に動けない。
情報源は長崎出島の風景と、そこに集まる日本の書籍や絵図しかない。
江戸時代初期の絵画といえば狩野派が有名ですが簡単に入手できそうにない。
逆に外国文化を得ようと出島では「長崎派」なる絵師が居たようです。
中国明や清の画家も渡来してきており画風も和中洋と混在していた。

 

マルコポーロに「黄金の国ジパング」を紹介されて以来、欧州から最も遠い極東日本の情報は需要も高く「JAPON」と表した書物は飛ぶように売れたのではないでしょうか。
つまり「中国」の風景画を「日本」と意図的に変えた可能性もあります。

 


ココでもう1枚の絵を紹介。

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モンタヌスの絵

この絵は『東インド会社遣日使節紀行』(1669年刊)の中の1枚。

本の作者は
Arnoldus Montanus
アルノルドゥス・モンタヌス
1625-1683。オランダ人。宣教師、歴史学者
彼もまた来日経験は無く、欧州から離れたことはない。

 

描かれている人物などを観察し比較してみると、
清朝役人が着用する帽子「凉帽」を着けた人が沢山居る。(ほぼ同じ)
・「烏紗帽」「道帽」を着けた人が消え、二本差しの侍が描かれている。(はっきり違う)
・「辮髪」の人物が日本の「髷」らしき髪型になっている。(はっきり違う)
・煙を立てて何かを燃やしている。(ほぼ同じ)
・日本の仏像にしては見かけない様式のものが多い。(ほぼ同じ)

 

以上の事から推理すると、
◇モンタヌスもピカールと同じ資料を入手していた。
歴史学者でもある彼は元の資料が「日本」で無いことに気付いた。
◇中国文化である「烏紗帽」「道帽」「辮髪」を消し、日本風の人物に描き変えた。
◇日本の主な宗教が仏教である事を知っていたが適切な絵がなかったため中国の絵を改変。

 


◆結論◆

ピカールの絵は、

  日本以外の国も「JAPON」と紹介しているが絵の内容の信頼性は高い。
  ただし、それぞれの絵がどの国の描写なのか特定が必要と思われる。

〇モンタヌスの絵は、

  意図的に手を加えた可能性がある為、絵の内容の信頼性は低い。
  ただし、絵以外の内容は当時日本へ派遣されたイエズス会士からの報告書に
  基づいていることを考慮すべき。

 

 

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