■瓜生島伝説考■2021/07/19
■瓜生島伝説考■2021/07/19
【瓜生島伝説で考えた別府湾地震の被災規模】
九州大分の別府湾にかつて一夜にして沈んだ「瓜生島」の伝説がある。
「瓜生島とじぞうさま」というタイトルで某アニメ日本昔話が放送された。
島の蛭子神社にあったエビス像の顔が赤くなると島が沈むという伝承があり、それを信じなかった不心得者がエビス像を赤く塗ったことにより、島が沈んだという話。
だが本当に伝説なのか。
島の住人が信じたという「島が沈む」伝承について考察してみました。
・歴史文献より
1596年9月4日、別府湾で発生した慶長豊後地震(709人没)によって、海外にまで知られた港町「沖の浜」が消滅したのは事実。
大友宗麟は南蛮貿易で巨万の富を築いていた。日本最大級の国際海港都市が「沖の浜」でありポルトガルや明の外交文献にもその地名が残っている。フロイスの『日本史』に付近在住の信者から聞いた話として、家々が津波に流されたこと、年貢を徴収する秀吉の船団が全滅したこと、津波が大野川を遡ったことなどの記載がある。
・科学調査より
1977年、音波探査で海底調査をしたところ、ある乱れた場所があり、その一帯で大規模な地すべりの跡と断層を確認。
1981年、多くの断層群があることが判明。
1985年、約500~400年前に動いた断層を発見。
1990年、不自然な砂の堆積層を発見。
現地調査で大分市中心部の大分県庁付近で津波高5.1m、浸水深2mの津波があったことも確認。
・これらの調査から、大分川河口付近の海に突き出た島状の砂州が、地震による液状化で地滑りを起こし、その後の波による浸食によって完全に消滅したという説が有力になりました。
別府湾は、ここを境にして九州が北と南に引き裂かれる運動にともなって、地盤が沈んだためにできた湾である。一番深いところは高崎山の沖で約70mの深さなのだが、それは大分川や大野川などが運び込んだ土砂が埋まっているからで、今の海底よりずっと下の方に硬い岩盤がある。土砂を除くと別府湾の海底は4000mを超えている。
この別府湾で再び大きな地震や津波が発生した場合、湾岸の一部が海底に沈み、湾そのものが大きく変貌する危険を常に想定すべきである。
「島が沈む」伝承が残った背景に、「島が沈む」光景を実際に目にした人が居たのではないかと考えている。別府湾では過去大きな地震や津波を何度も記録している。その度に海底へ地滑りを起こし土地や島が沈んでいった可能性も否定できない。つまり「沖の浜」消滅以前に「瓜生島」も実在し消滅したのではないだろうか。
話は飛ぶが、古事記の国生み神話では「四国→隠岐島→九州→壱岐島→対馬島」の順に記載されている。この順に疑問の声があがる。古事記の「隠岐島」は四国と九州の間に存在していた島なのではないかと。別府湾に存在したとされる「瓜生島」ならその範囲内と言える。そんな想像を膨らませてみたが海の底なので確かめようがない。残念。