■日本書紀考■2021/06/16
■日本書紀考■2021/06/16
【日本書紀で考えた防疫の歴史】
6世紀半ばの第30代敏達天皇紀に天然痘が流行したような記述が日本書紀にあります。
仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方もあったそうです。通説では新羅との使者往来が原因とされています。朝鮮半島では6世紀初めに天然痘が流行している。
585年の敏達天皇の崩御も、天然痘の可能性が指摘されている。
次代の用明天皇も在位2年、天然痘で崩御。
朝鮮半島に所縁のある蘇我氏。その蘇我氏の母を持つ第33代推古天皇。
この時代に日本語発音の「ハ行」改革が行われたとしたらどうでしょう。
防疫の観点から唾を飛ばす「ぱぴぷぺぽ」のような破裂音を抑える目的と、
仏教普及に伴う朝鮮方言の広がりがうまく重なったのではないでしょうか。
聖徳太子が手で持っている「笏」や女官が持っている「扇」も当初は、
口を隠し、唾が飛ばないように使われていたのではないかと考えています。